2024/05/05

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サンリオとちいかわのコラボシリーズ。

とってもかなりかわいいね!!!!

冬もフリースパジャマを買ってあまりのかわゆさに大事に大事に洗って着てたんだけど(笑)、まさかの夏も出た!!

しかも安いからこれならたくさん買える!!

 

35歳児としては世の中に率先して購入せざるを得なかった。=即買いの意

 

160サイズなら余裕で着れる!と鏡の前でガチャガチャやっていたら、周りの客もみんな集まってきて続々と買い始める。なぜか子供よりお母さんの方がキャーキャー夢中。

店員にこれのこのサイズはないんですか?と聞き、ちょっと呆れた顔をされながら、「ないですね」と断られる。恥ずかしい。

だってパンケーキ柄の白いやつ!欲しかったんだもん!

 

可愛いものはいいよね。人間の心をまあるく一つにしてくれる。素晴らしいことです。

 

 

2024/05/05

某日、哲学談話的なものに参加。

結論:絶望しかなかった。

 

哲学って抽象的な問題を抽象的なままふわっと、今ある常識だけを正解とせずに、別の答えや物事の本質を探していくもんだと勝手に思ってたのだが。

実際参加してみると、「ここにいる皆さんはそこそこの大学を出てらっしゃるはずですけど〜」とか「勉強してなかったけど今はちゃんと働いて結婚してるんだ、偉いね」とかそういう発言が随所にあり、なんとなく全体の話題の傾向も上から目線気味。

 

んで、いい学校行かないと将来詰むよね!たとえ会社で偉くなってもやっぱFラン大学卒上司の指示はわけわかんないし、子供にそうなって欲しくない!ワハハ!で終わりみたいな。

 

己の学問努力を肯定して気持ちよくなりたいのか……?

よくわからないが、

そうじゃねーだろ!!?!?!嘘でしょ!?!?

の連続というか。(笑)

いやーー。しんどかったな……。

とゆーか、私には合わなかった。

 

総合して、人の話を聞きながら私は悟った。

哲学とは「絶望の学問」なのだ。

そして、「人間は常に何かを裁きたい」生き物なのだと。

 

参加者が口々に言う意見はどれも間違っちゃない。そもそも人間の発言や行動に確固たる間違いは存在しない。生きていることが正解であると思う。

けれど、全部の話を聞いてると確実に絶望する。

それは、どうしたって人間個人の願い(理想論)は社会全体の願い(現実)と一致しないからだ。つながらない。私の痛みは救われず、むしろこうやって潰されるのだと、他人の意見を聞けば聞くほど、潰されの現場やプロセスを目撃することになる。

抽象的すぎて伝わるか謎だが、こいつはなかなかしんどい!

 

とゆーようなことを考えながら人びとの話を聞いている私は、他人をあるいは己の至らなさをひたすら裁いている。

私が意見を言うときも、全員のお前に何がわかんの?そんなふざけた格好で小娘が(笑)という視線が突き刺さる。現場を暖める小慣れた発言が無言で要求される。案の定私がふざけたことを大真面目にいうので変な空気になる。

私は裁かれる。そして裁いてきた他人を裁く。

これもまたなかなかしんどい!(笑)

でも、人間が二人以上存在する限りこの裁きは確実に発生する。いつもそうだ。普段ひとりぼっちだから忘れてるだけで。サルトルの言う「地獄とは他人のことである」を思い出して泣きつきたくなる(サルトルに)。

 

そしてきっと、人間の大半はこの無限裁き地獄に耐えられない。

だから宗教が必要なのだろうと思う。

自分の裁きを委託するために宗教は存在する。(委託すると人間の心は軽くなる)

日本人は、今日の会合のように空気とか「みんな」のような無言の圧力による裁きが得意な部族なのだろう。目に見えた宗教があると無言の圧力が発動できないので、目に見えない宗教「みんなふつう教」をとても大切にしている。目に見えないということは、解決もしづらいということだ。

言語化しづらい、感覚的な喜びや苦しみを日本人はとても大切にしている。

 

(一方で、同調圧力があるならば、同調解放もあるのかもしれない。ここではないどこか。)

 

私は、学生の間やその後もニートやったりフリーターやったりの暇な時間にいろんなところでいろんな階層、年代、地域、国籍の人間と接しまくってきた。いろんな頭の中身の人がいて、いろんな見た目や能力の人といろんな仕事をした。いろんな場所に住んだ。いろんな人と話をした。

だからこそ「Fラン大学」とか「メンヘラ」「マジキチ」「無敵の人」「子持ち様」など平気でラベリングする人に思うところがあるし、何かを否定したくても、該当して思い出してしまうリアルな人間がいる。彼らは果たして何か悪いことをしていただろうか。

これらを同情と呼べば私は尊大な人間だし、共感やエンパシーと呼べば私は寛大な人間だろう。

 

……こんな感じでひたすら約二時間絶望し続けた。

そして、絶望している私を救い、生きる方向へ向かわせるのは、私が私自身の中で行う(今長々と書いてきた)哲学っぽい行為によって生まれるエネルギーだったりする。

まさかこのプロセスが真の目的か!?(笑)

 

生きてて一度でも心底から絶望したことのある人間か、そうでない人間かの境目は大きい。だからこそ、哲学という橋は希望になる。というか、私は希望としてきた。哲学によって、絶望している絶望(対象)ごとまるっと疑うことで、絶望をリセットできるからだ。けれど、今回みたいにやり方や相手を間違えると、別の絶望に行きすぎて命を落としそうだな!とゾッとした。

 

そんなことを考えながら自転車に乗っていたら、強風に煽られてかぶっていた帽子が後ろに飛んでいった。慌てて取りに戻ったら、通行人のお姉さんが走って拾って笑顔で届けてくれた。世の中って捨てたもんじゃない。

 

優しさは、まわりから優しくされて育った人には自然に備わるけど、そうじゃない例外の人というのが常にいる。そういう人は、違うかも!ってなる人は、やっぱ生きてて辛い気分になりがち。そりゃそーだ。だから、哲学とか文学みたいな思考実験や人の話を聞くってことで、後天的に学習していくと生きやすくなるのかな〜なんてことも思いますね。まあ、わかんないけどね!

 

かつてニートでSNSやって毎日ウジウジ投稿してたとき、「哲学しないで行動して〜wwwww」と空リプで嫌味っぽく煽られたことがあって。私は自分が哲学してる実感がなかったけど、哲学してるんだ!?むしろ、私って哲学できてるんだ!?そう見えるんだ!?と煽られたことによって気付かされて。(笑)

だからそういう集まりに行ってみたけど、似たような人間が多くて面白かったけど、でもなんかちょっと違うかもな!疲れてしまった!という1日でした。

 

口先でかっこいいこと言うのはタダだし、Twitterで同調して猫の写真上げて他人を叩いて何も考えないのはラクだけどさ。何の利益がなくとも他人の落とし物のために無償ダッシュできるお姉さんみたいになりたいから私は筋トレ頑張ります!

2024/05/03

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謎の精神不良でふらふらになりながら洋服を見るも何も欲しくなく笑顔で店員さんと話しながら心の中ではずっと消えたいって考えててしんどくて逃げるようにサンリオショップ見たら一目惚れした個体。小さくてかわいい。ぬいぐるみって愛着湧きすぎて所持に困るため極力我慢して買わないようにしてるのだけどこの子は可愛くてつい持って帰ってきてしまった。サンリオ総選挙はマロンクリームとマイメロに毎日それぞれ入れてる。

 

帰り道の中央線で刀ミュの痛バッグを持った女の子たちが乗ってた。加州と鶴丸のオタクで赤と白が並んでた。わかるわー、鶴丸っていいよね。

てゆうか、イベント行くキメキメのオタクって結婚式とも違う、男の子とのデートとも違う、なんか謎のキメキメ感があるよね?髪はガチガチに巻くし、ピタッとしたボディラインの出るニット系のワンピース、もしくはシフォン素材でも柄物の服が多い。胸元ちょっと開き気味。ボトムはマーメイドラインのスカートが多い。

……何でなんだろう!?(笑)

正直言って、流行りのアイテムともまたちょっと違う、「女の子」っぽい服装。昔で言うと赤文字系というか。スナイデルとかマーキュリーデュオとかファーファーとかああいう感じ?

こういうこと書くとまた悪口と思われるんだろうな〜と思うけど、そうじゃないんだよ!私は純粋に社会学的に?文化的に?気になるとゆーことが言いたいのである!!!!

「そういう感じ」の服が好きな方は、一体どこでどのぐらいの予算感でどのぐらいの頻度で買ってて、何を参考にアイテムやコーデを選んでて誰をロールモデルにしてるのかを教えて欲しい。気になる。

 

明日からスパコミかな?最後に参加したイベントが去年のスパコミだったはずなので丸一年が経過!!!!!!!!あれだけ頑張って本作ってたのに丸一年何も作らなかったんだな。もう作り方忘れちゃったよ。

何年もやってれば一人ぐらい友達できて、合同本出したり出来るかなって期待してたけどほんとに最後まで誰とも仲良くならなかったなー。

鶴さにはネタとかシチュエーションさえあれば全然いつでも書けるんだけどだいぶ自分からは出しつくしてしまったので、こういうのが読みたいんです!って設定さえもらえたら全然書きたい。

 

なんか全然関係ないジャンル…サッカー漫画とか?(笑)で突然別名義で本とか出してみたいけどそもそもハマるジャンルがない。観てないから。

 

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「歩くイチゴヨーグルトパフェ」こと松岡凛ちゃん。ん?俺がイチゴケーキだろ?ぐらいの顔で得意げに酒飲んでて愛らしいですね。男たるもの酒ぐらい飲めなきゃな!とアスリートのくせに豪快に飲酒してゲロゲロに吐きまくって嘔吐による生理的な涙目のままハルちゃんとゲロ臭いチューをするのが今の私の萌えです。凛が苦しそうにしてると見てられない!って心をざわざわさせて凛より不安な顔になってしまうハルちゃんのことが一期最終話の頃からずっと好きです。こないだから凛ちゃんにゲロを吐かせる話ばかりしてるな!?なんかもっと違う話をしたい。ケーキなんか食わねーしと言いつつ勧められたら断りきれずに少し食べちゃう凛ちゃん。ハルちゃんからあんなによく笑ってケーキ嬉しそうに食べてたじゃないかといまだに子供の頃の残像と比べられてなんだか複雑な気持ち。ケーキが嫌いなわけじゃないけど、なんかケーキって子供とか女みたいで食べたくない凛ちゃん。甘いのって口の中ベタベタするし、みんなとあの頃みたいにケーキを食べてたら気持ちまであの頃に戻ってしまう感じがして、タイムマシンみたいで、そういうのがなんか苦手なのである。感傷的になりたくない。昔に戻りたくない。はやく未来に行きたい。凛ちゃんはいつも未来のことを考えて先へ先へ行こうとする。ハルちゃんは凛と離れていると凛の思考遍歴がわからなくて凛のことなんもわからない、変なやつだと思って不思議だらけだったけど、隣にずっといてみると凛ちゃんはすごくわかりやすくて、凛ちゃんの考えてる気持ちとか陥ろうとしてるところが自分の心にも伝わってきて、より一層凛ちゃんのこと好きになる。うっ!!!!!かわいい!!!!!!!!!!!!ご馳走様です!!!!!!!!!!!!!!!

 

2024/05/03

朝起きた瞬間から希死念慮タソ(^.^)が爆発状態でメンタル葬式モードすぎるけど無理やりGOODM!Xさんの「カモン・ミックス!」(ハロプロ選抜メンバーによるシャッフルユニット、春日井製菓のつぶグミを宣伝する目的のためのみに結成)をダウンロードして聞きまくることでなんとか持ち直して今こんなものを書いている。化粧してコンタクトレンズも入れて着替えて髪の毛やったのに家から出られない。全身が鉛のように重い。呼吸がうまくいかない。とにかくしんどいという感覚だけが体の中に渦巻いていて何も行き場がない。なのに妙な焦燥感だけはあり、だからこそ身支度をしたのだがそれでももう何もできない。どうしたらいいのかわからない。何をしたらいいのかもわからない。休み続けてても後から嫌な気分になりそう。とにかく外へ出るか。本屋にでも行けばなんとかなるだろう。洋服もないから洋服も欲しい。ただただつらい。存在していることがつらい。

2024/05/02

ここ数年ずっと避けてたボーイズラブを読み直すことによって自分が何から逃れたかったのか、何を求めていたのか、何から目を背けているのかがめちゃくちゃありありとくっきりわかってしまって、なんかなんだかむしろ憂鬱!でも人間って自分からは逃げられないから。だから私という人間はボーイズラブからも逃げられない……のかもしれない。(笑)多分。わかんないけど。BLでもダメ、夢でも男女カプでもダメ、だからBLみたいな夢を自分で書いたけどそれもダメ、女の子だけの世界に行ったけど百合もダメ、結局またBLに戻ってきてやっぱり何やってもダメじゃん!となりながら涙目。でも、やっぱりBLが1番いいところまで辿り着けそうな感じがある。自分の心を一番上手く映し絵できるのはBLだから。そのために偉大な先人たちが切り開いてくれた理想世界だから、BLというのは。森茉莉、中島梓に感謝。萩尾望都と竹宮恵子へ敬礼。

 

心を常にわくわくとさせていたい。じゃないとほんとに時間なんて無駄になっちゃう。いつもいつもそう思う私と鶴丸はきっととてもよく似ている。私は私(のような人、私のアバター)と鶴丸のBLが読みたかったのかもしれない。でも、それは男の子の私ではなくて女の子の私で、女の子の私のままで鶴丸とBLがしたかった。空高くからそれを見つめたかった。それが私の夢だった。

 

時間が無駄になることがそんなに怖いのか?よくわからない。いつも、なんなら今だって無駄にしてるといえる。それでも私は何かを書く。怖いから書く。一体何からそんなに逃げようとしてるのか。

 

「彼の退屈は寂しさだ」と彼を演じた声優は説明してたけど私はそれは違うと思う。だって寂しさはナルシシズムだから。退屈の虚無は、ナルシシズムのもっと深い先にある。何も届かない虚無。寂しさ(ナルシシズム)は表層の部分で、だからこそ寂しさ(ナルシシズム)は他人と分かち合うことができる。虚無は誰とも分かち合うことができない。

それがとても恐ろしい。

 

虚無に行く前に、私は私のボーイズラブに自分自身で決着をつけたい。そんなことをぼんやり思う日々。

2024/05/02

ブログ、書いても書いてもなんにもならん感じでさっそくいよいよ飽きてきた。

 

それにしてもまあ毎日何投稿もダラダラと文字が書けるもんだよな。

これを小説とか他人とわかちあえる夢のある作品にできていたら今ごろもうちょっと笑っていられたのかもしれないけどそれがうまくできない、できないからこそ私だから!!!!!爆笑

作ったものに対してのフィードバックが欲しいからイベントに出たい。手紙とか書きたい。何が正しくて何が間違っていて私はいていいのかいなくてもいいのかどうでもいいのか、とにかく実感が欲しい、手ごたえが欲しい。価値は私が最後ジャッジするけどその材料としての実感。あたまがおかしくなりそう。何人もの人格が私の中から言葉を伴ってヒョンヒョンと飛び出してきて日記のなかでなんか言ってる。

 

私の日記は全部読めばわかると思うけど大体が捏造だし創作なんだけど主語を「私」にした時点で「この人ってこういう考え方なんだ~」ってまっすぐ信じちゃう人が多いからな…たまにアラート発出しないと危ないんだよな。

 

泥酔して矢野顕子「ひとつだけ」を爆音でキメると日常の大体の鬱屈はあっけなくぶっ飛ぶので自分にも他人にもこの方法を推奨しています。爆音であることが重要です。YMOメンバーがバックバンドを担当しており非常に素晴らしいからです。特に間奏のピアノね。

2024/05/02

他人のなかに空いた穴ぼこに手を突っ込むなり、自分の穴ぼこを見せて二人で穴ぼこの見せあいをしたり、あたしらの穴ぼこ似てるねって言うなり、穴ぼこに手を突っ込んでくれって頼んでみるなり、なんなり。

人間に空いた穴ぼこについて。

それを一方的にチラ見するのはまだしも、お互いに直視しあうのは本当にキツいししんどいし面倒だし、なんかなんつーかとにかくやたらとキモい感じで拒否反応が出る。んで、けっこうそこで友達レベルだと{LINEブロック}{SNSミュート}とかの技を繰り出して回避する/される。

でも本当は、実は、人間と人間が<◎◎しあう>にはこの<穴ぼこ直視儀式>が絶対不可欠なのではないか。安易なテーマのように聞こえてしまうでしょうがまあ。

 

穴ぼこを人間と人間の間で埋められないから、結局、意味不明な{推し文化}とかいうよりいっそうキモくて合理的に見えて別にそうでもない資本主義{システム}でなんとなくうすっぺらい蓋をして、でもべつに埋まるわけじゃない。

人間の穴ぼこは(触れて会話ができる心理的距離の近い)人間じゃないと埋まらない。

多分。いまのところ。AIとかが人間に近づいて、人間みたいなぶよぶよした皮膚をもって、人間を超えた知性で人間のもとに降りてきてくれたらその限りじゃないと思うけど。

他人のキモさ、病んでるヤバさ、さみしさ、そういうのを直視するのってほんとうにキツいことだけど、でもそういうある種の傷のなめ合いというか、ぐちゃぐちゃのナルシシズムというか共依存のような病的状態が発生するのが、<◎◎>とかそういうやつなんじゃないのか。<◎◎>は異性相手でも同性相手でも、なんなら無機物相手でも発生する。他人の穴ぼこにすぐ気が付いて、手を突っ込むことにためらいのない人間がいわゆる「モテる」人間なのかもしれない。

 

「こういう人間とは縁を切れ!」「ヤバい奴の見分け方」

そんなことばかりやって人間は、他人の/自分の穴ぼこを回避することばかり考える。だからどんどんみるみるうちにひとりぼっちになる。毎日、自分の穴ぼこからなっているヒューヒューとした空っぽの音がうるさくて、それでまた{SNSとか動画とか}に没頭して、何も見ない/いないふりをする。

 

人間には穴ぼこがあいている。